2011年に破綻し、世間を賑わせた安愚楽牧場のその後を調べました。
安愚楽牧場は1981年から事業を開始した、和牛預託商法最大手の畜産会社。大手広告代理店を通じてテレビCMや雑誌で著名人を起用した広告を出し、大々的に投資者を募りました。
事業の仕組みとしては出資者が和牛(雌牛)のオーナーとなり、毎年生まれる子牛の売却代金で多額のリターンが望めるというもの。直営の牧場は全国に38カ所、契約農家の分も含めると肉牛13万3000頭あまりを飼育していましたが、実際のところ、オーナーの数に対して肉牛の数が不足しているという状態にありました。
一時、安愚楽牧場以外にも和牛預託商法は多く存在しましたが、それらは1996年ごろにほとんどが破綻し、特定商品預託法という法律の特定商品に家畜が追加され、規制も厳しくなりました。
その後も安愚楽牧場は経営を続け、業界関係者からは「最後の砦」とも呼ばれましたが、2011年に破綻。すでに自転車操業状態だったところに、東日本大震災での福島第一原発事故が影響し、解約が増えたことも大きく関係しているとされています。
安愚楽牧場側では破綻理由を「肉牛価格の下落」などを挙げていますが、経営の面での杜撰さが調査によって浮き彫りになっています。
牛の管理は杜撰そのもので、2010年に問題となった口蹄疫への対応では宮崎県から文書で指導を受けるほど。「安愚楽牧場が適切な対応をしていれば、被害の拡大は防げた」と報じているメディアもありました。
また、財務管理の面でも、多くの投資家から資金を集めながらも、公認会計士による監査を受けていなかったのです。そのため、オーナーからの入金をすべて売上に計上し、満期で解約する時には仕入れとするなど、帳簿には正しい情報が記載されていませんでした。
出資者から資金を集める投資商品は、集めた資金を第三者が管理していないと、資金の動きが把握できないことが多く、安愚楽牧場も決算では毎年黒字を計上していましたが、実情は自転車操業だったことがわかっています。
負債金額は2011年8月の民事再生法適用申立時点で、4,330億8,300万円。牛のオーナーとなった被害者の数は7万3,356人にも上りました。
その後、2011年12月に破産手続きに入り、債権者集会が開かれました。3年後の2014年3月に破産手続きが終結。被害者対応のために開設されていたコールセンターも5月末に閉鎖されました。
被害対策弁護団では、今後は安愚楽牧場の経営責任者や広告塔を勤めた元経済評論家などに対する、刑事・民事双方の訴訟を続け、また、国に対する損害賠償も提訴したようです。